米本稲荷神社
って、庇柱に昇り竜と下り竜っ!迫力あるお姿…
社殿にぐるりと細かい彫刻。繊細で、物語があって…荘厳でありつつ、身近い雰囲気にぐっとくる。
階段の脇にちょこなんと座る木彫の狐さんに一目惚れ。
境内は広くはないし、手水舎のお水は止まってるけど…とても手入れが行き届いていて、きもちいぃ。(2015.4撮影)
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彫刻をじっくり拝見したく、再訪。
社殿の周辺をぐるぐると何度もまわりながら、顔を近づけてみたり、二歩下がって全体像をみてみたり…しみじみうっとり。
もっと気楽に訪れられるご近所さんだったら、朝に夕にお参りにいっちゃうんだけどな…
というくらい、大好きです…(2016.2撮影)
「本殿の構造は桁行一間、梁間一間の一間社流造りです。屋根は現在銅板で葺かれていますが、以前は茅葺きだったそうで、全体は総ケヤキ造りです。鳥居は明治22年(1889)に伊勢講参拝記念として建設されています。当時は木造でしたが、戦後コンクリートに建て替えられました。しかし、基礎である根巻はそのままで、石工が鷺沼の広瀬音五郎であることがわかります。また手洗い鉢は慶応4年に作られています。再建寄付連名碑は現存する本殿が再建された時のものと考えられ、再建時に佐倉市や船橋市、印西市など広範囲に寄付を仰いでおり、当時の稲荷神社の信仰の広さをうかがわせます。
稲荷神社の創建の伝承は伝わっていません。明治期に書かれた資料によると享保年間(1716〜36)とされておりますが、確かなことはわかりません。しかし、これらの資料から少なくとも江戸時代中頃迄には創建されていたと推定されます。その後、寛政期(1789〜1800)と慶応期(1865〜67)の二度にわたって再建されたようです。慶応期の再建は安政2年(1855)の江戸大地震により倒壊したためと推定されます。しかし、再建が十分ではなかったためか、しばらくすると壊れはじめ明治27年(1894)に再び建て替えられました。本殿の特徴は随所に見られる彫刻の数々でしょう。まず目につくのは庇柱に肉厚に浮き彫りされた昇り竜と下り竜です。このように庇柱に竜が彫られているのは市内では他に見当たりません。近隣では佐倉市の鷲神社本殿・印旛村宗像神社本殿また白井町鳥見神社本殿など何件か確認されています。さらに、向拝と庇をつなぐ海老虹梁のわずかな隙間や両側の壁、背面、階段の脇など所狭しと彫られています。題材は波や亀等の自然を表現しているもの、馬、牛等の家畜。天神像など信仰心を表現するもの、収穫物を箕で振るっている姿やクルリ棒で収穫物を叩いている姿。また子供たちがダルマを転がしたり、獅子舞に追いかけられたりしている姿など多様です。これらの彫刻は日々の労働の厳しさのなかにもおだやかな美しさが伝わる風景です。
平成9年3月31日 設置 八千代市教育委員会」境内案内版より
鳥居(明治22年在銘)、再建寄付連名碑(明治27年在銘)、手洗い鉢(慶応4年在銘)
市指定有形文化財(建造物)平成8年4月1日
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