意富比神社[船橋大神宮]
例大祭、正月三ヶ日にも、是非でかけてみようと思う。(2012.4、2014.1撮影)
→“徒然”
2月3 or 4日:節分祭/2月17日:祈年祭
4月3日:水神祭
6月1日:常磐神社(末社)例祭/6月30日:大祓
7月1日:浅間神社(末社)例祭
10月19日:外宮例祭
10月20日:例大祭(相撲行事有)
11月23日:新嘗祭
12月酉の日:大鳥神杜(末社)例祭/12月31日:大祓・鎮火祭
毎月1日、15日:月例祭
創建:皇紀771年(110)
「景行天皇の御代四十年に皇子日本武尊が東国御平定の途次此の地に到らせられ、伊勢皇大神宮の御分霊を奉斎なされ、同五十三年に、天皇御東行の砌、日本武尊の御事跡を御追憾意富比神社の称号を賜る。
後冷泉天皇御代天喜年間には源義家、頼義両朝臣当宮を修造せられ、亦、仁平元年には船橋六郷の地に御寄附の院宣を賜り、源頼朝之を奉じて当宮を再興、其の文書には船橋伊勢皇大神宮とある。
日蓮上人は宗旨の興隆発展成就の為当宮にて断食祈願を行い、徳川家康公は仕須を寄せられ奉行をして本殿、諸末社を御造営せしめ近く明治天皇陛下には習志野、三里塚へ御幸の都度、勅使を以て幣帛料を御奉尊遊ばされる。
現在の御社殿は維新の戦火に罹災後、明治七年に本殿、同二十二年に拝殿が竣工し以後大正十二年、昭和三十八年、同五十年に各々社殿、末社、鳥居、玉垣等に至る迄の大改修或いは御神泉の奉納、灯明台(県民俗資料指定)の修復等を経ている。」由緒碑より
《摂末社》
外宮(豊受大神)、稲荷神社(倉稲魂命)、天之御柱宮(護国の英霊)、常磐神社(日本武尊・徳川家康・徳川秀忠)、浅間神社(木花咲耶姫命)、八雲神社(素盞嗚尊)、八劔神社(素盞嗚尊)、八坂神社(素盞嗚命)、大鳥神社(日本武尊)、水天宮、秋葉神社、古峯神社、金刀比羅社、八幡神社、竈神社、龍神社、道祖神社、客人神社、多賀神社、岩島神社、住吉神社、嚠所神社、春日神社、香取神社、鹿島神社、玉前神社、安房神社、天満宮、天神社、船玉神社、粟島神社、根神社、祈年穀神社、岩長姫神社、阿夫利神社、大山寤神社、事代主神社、大國主神社、水神神社、産靈神社、木爰田比古神社、三峰神社
《灯明台》※正月三ヶ日のみ一般公開
県指定文化財(有形・民俗):昭和37(1962)年5月1日指定
管理者:船橋大神宮灯明台保存会
「かつて、船橋沿岸を航行する船は、意富比(おほひ)神社(船橋大神宮)境内にあった常夜灯を目印にしていました。
この常夜灯は慶応4(1868)年の戊辰(ぼしん)戦争で、社殿とともに焼失しました。明治13(1880)年に現在の灯明台が再建され、明治28(1895)年に停止するまでのあいだ、政府公認の私設灯台として利用されました。
標高27mの丘の上にあり、浅間神社(せんげん・じんじゃ)のあった場所に建てられたので、「浅間山灯明台」といいました。
建築様式は和洋折衷の「擬洋風建築」で、1階・2階は和風、3階の灯室が西洋式灯台の意匠を取り入れた六角形のつくりになっています。
光源は石油ランプ3基に錫(すず)製の反射鏡3基を組み合わせ、光の到達距離は約6海里(約11km)あり、その当時の最新式の設備でした。」説明書きより
《神楽》
市指定文化財(無形民俗):平成7年6月26日指定
「平安時代の史書『三代実録』にhs「下総国意富比神」の名が見え、『延喜式』には『意富比神社』の名がある。この意富比神は船橋大神宮(意富比神社)の前身である。
神楽は正月、節分、10月20日の例祭、12月の二の酉に、境内の神楽殿で演じられ、4月3日の水神祭には船橋漁港でも行われる。伝えているのは船橋大神宮楽部の人達で、古くからの習わしにより、谷津の人も参加している。
現在伝えられている演目は次の10座である。
1.みこ舞 2.猿田舞 3.翁舞 4.知乃里舞 5.天狐舞 6.田の神舞 7.蛭子舞(恵比寿舞) 8.恵比寿大黒舞 9.笹舞 10.山神舞
このうち恵比寿大黒舞は節分祭でのみ演じられる。
使用する楽器は舞楽に用いる楽太鼓と、大拍子(締太鼓)、笛 各1である。神楽の由来はよくわからないが、曲目の構成からみて、12曲を基準とする「十二座神楽」の系統であると考えられる。」
《常盤神社》
家康の歯を納めた家康木造が安置されていたそうだが、現在建替工事中(平成27年(2015)10月完成予定)
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