豊受神社(猫実)
それにしても…末社の三峰神社の狼さんは、なぜに金網の中?(2012.4撮影)
「保元2年に創立される。その後、永仁元年の大津波に遭い、社殿が大破し再築、続いて元禄・享保・寛政と度重なる風水害により破損したので、嘉永3年に再建した。後、大正12年に社殿を修繕し、神輿・灯篭が献納された。昭和49年5月、永年の歳月を経て腐朽の甚だしい社殿を再建、また社務所、周囲の玉垣を建築した。往昔、当社は字大宮前に鎮座されたといわれ、明治初年までは、「神明宮社」と呼ばれた。」千葉神社庁サイトより
《大銀杏》
「この大銀杏は、村の人が境川河口を流れていた小さな木を拾いあげ、豊受神社の境内に植えたものといわれています。その後、この木は順調に成長し、数百年を経た今日も枝葉が繁茂しています。
平成6年(1994)の樹木調査では、明治40年(1907)頃、外周が3mほどの幹が高潮などの塩害によって枯れてしまい、そのまわりに生えていた萌芽枝が大きくなり、現在の株立ちになったことがわかりました。そして近年、現在の株立ちを維持するため、樹木医による樹盛の回復作業も行われました。
この銀杏は雌樹で、幹は6またに分かれ、根の周囲は8m、高さ14mにも及び、ところどころに乳垂状の突起があります。春から夏にかけては緑の葉でおおわれ、秋には黄色い葉とギンナンの実がなり、特に秋風に散る黄色い葉の風情は見事なものです。」境内由緒書きより
《富士塚》
「豊受神社の一隅に、浅間神社を祀ったちいさな間があったが大正12年(1923年)氏子達は、その上に畑の土を盛り上げ、墨石を購入して、富士山をかたどった大きな山を築き、頂上に木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祀った石造りの浅間神社を安置し、山の中腹に中道まわりという道を造った。
登山口の灯篭一対と明神鳥居は住民有志の奉納で左側の記念碑は、小川潤書、本田稲吉の彫刻によるものである。
毎年6月30日には神前に神楽が奉納され、富士講の人達は井戸水で水行をとり、体を浄めたあと、真白な行衣に白い帯を締め、手甲、脚絆に身を固め、菅笠をかぶり、金剛杖とりんを持って六根清浄と唱えながら神社に参拝し、翌7月1日富士山の山開きに出発する。
盛況を極めた富士登山も昭和初期には次第にさびれ、今日ではほとんど影をひそめている。」境内由緒書きより
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