稲荷神社(千葉市中央区)
おぉ〜しっとりとした素敵なお社。社殿やら手水舎やらの素木の風合いにうっとり。彫刻も素敵だ。
ゆったりとした境内には、石碑や祠が整列してる。
拝殿の屋根の上には、左右にちょこなんとかわいらしく狐さんが!!
にょろりと伸びた木々も気持ちいぃ〜(2015.7撮影)
「往昔、大和武尊が東夷征伐のため上総國へ赴く際、当地に「御駒(馬)」えお放ち、この地主神に夷賊退治の無事達成を祈り誓いを立てた事から、此の地は「駒ヶ原」と呼ばれた(駒原神社再建寄進帳・文政五年)
御社は「駒原神社」として豊宇気大神を祀った。
その後、大治元(1126)年、千葉常重が猪鼻に館を構えて以来、千葉氏の守護神として「御達報 稲荷」と称した(千学集) また治承4(1180)年 源頼朝が太刀一振を献上し祈願(神社由緒書) 以後 社殿の修繕などは代々千葉氏が執り行う。
延宝年間(1873〜80)に旗本深尾八太夫が復興を図り、日蓮宗上行院を別当寺として当社境内に建立(明治維新後、廃寺) 寛政7(1795)年、京都伏見村稲荷大社より正一位五社稲荷大明神の神号を賜り、千葉氏没落後は氏子が相協力して造営修理に当たり、文政3(1820)年、社殿再建を開始した事や安政6(1859)年、拝殿を建立した事などが記録に見える。
御祭神は豊宇気比売命(豊宇気大神) 久久能知命。毎年7月9日、御宝物お虫の儀を行う。
地名の変遷は御達報村から御達浦村、千葉寺村神田五反保、五反保村、五田保村。やがて明治22年千葉町大字千葉寺宇五田保、昭和11年より稲荷町に。
境内には当地の偉人、花沢紋十が天保7(1837)年、甘藷澱粉製造を始めた事などを記した「甘藷澱粉製造発祥之碑」がある。
平成19年 正月 地元学研究家 大川義行(屋号 藤兵衛)
稲荷神社 氏子総代 篠塚茂 中村仁 大川良二 宇留間又衛門」境内案内板より
《稲荷町有文書》(有形文化財 古文書)
「稲荷町という地域を知る上でなくてはならない重要な古文書」千葉市サイトより
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