宝珠稲荷神社
歌舞伎座から東へ、ちょっと細めな道の先に、チョコナンと鎮座。
江戸の武家屋敷…町の人々に愛され守られてきた小さなおいなりさん…ちっちゃくて静かな境内で、思いを巡らせてみたりして…
大胆な狛犬と、細身で繊細な神狐さんのギャップも、なんか微笑ましぃ…(2013.11、2017.11撮影)
江戸の武家屋敷…町の人々に愛され守られてきた小さなおいなりさん…ちっちゃくて静かな境内で、思いを巡らせてみたりして…
大胆な狛犬と、細身で繊細な神狐さんのギャップも、なんか微笑ましぃ…(2013.11、2017.11撮影)
《御祭神》
宇迦之御魂神
【由緒】
「宝珠稲荷神社は1613年の頃、三河の国 深溝の領主板倉内膳匠重昌の江戸屋敷内に家内安全火除の神として祭神せられたるものなり。
内膳匠重昌は、京都所司代及江戸町奉行として令名高かりし板倉勝重の次男として1588年 後陽成天皇の御代天正13年の頃の生れである。
重昌は、武勇に富み敬神の念厚く大阪冬の陣 島原の乱等に追討軍令として鎮台に務めたるも不幸にして島原に於て年令50才にして戦死したるものなり。
時の将軍は家光であり㐧110代後光明天皇の御代である内膳匠の兄周防の守重宗は下総の国開宿の城主なり年経て1760年 宝暦年間岩見の国津和野の城主 亀井家に譲渡せられたるものなり。
明治の維新に於ける亀井滋玄の功績は太鼓稲荷と共に有名なり 更に大正7年 岡山の岡崎家に売却されたるも爾来 本神社は敷地と共に地元 木挽町三丁目氏子に寄進せられ1950年 地元氏子有志相計り隣接地を買収し社殿及社務所を建設して今日に至るものなり。
1972年5月
宗教法人 宝珠稲荷神社
東京都中央区銀座三丁目東町会」境内由緒書きより
銀座3-14-15 » Google MAP
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