香取神社(西金野井)
で、目的地から徒歩圏内のこの神社、地図でみると“香取神社本殿”となっていて…ちょいと調べたら、“本殿”が県指定有形文化財になってるとのこと。その写真に一目惚れ…
重厚な屋根の反りと品のいぃカラーリングがかっこいぃ。
って、その本殿自体は公開されていないようだけど………
でも、その“気配”だけでも感じたい。
しかも、どうやら富士塚もあるらしぃ…?これは、行ってみなければ…
南桜井駅から南南東へテクテク歩く。天気よく、気持ちいぃ。
国道16号の“西金野井”交差点に『参道』の案内板が出ていて、しばらく進むと大きな鳥居が見えてきた。
その鳥居から神社まではあと200mほどあるのだけど…
かつては、ここら一帯、境内だったんだろか…
現在の境内手前の一角に…あった、あった、富士塚!
大鳥居の解説板には“木花咲耶姫命”とあるのに、神社の解説板にはそのお名前がないのは、この富士塚が浅間神社ってことなのかな…?
富士塚てっぺんの石碑の文字が読めれば…た、達筆過ぎて………
かろうじて3文字目が「神」に…見えるような見えないよぉな………
その横には、大ケヤキの切り株の保存施設が…ケヤキ、大きい。切ないわ…
ふと振り返ると、アノ大鳥居が小さく見える。
あそこまで境内が広がっていたら………すごかっただろなって、改めてしみじみ…と。
で、やっと神社。
がっちりした明神鳥居、その社額には『香取大明神』と…
お寺のような瓦葺きの屋根だったり、ちょっと不思議な感じの社殿。
手水舎も瓦葺きっ おっと、舞殿もっ
拝殿の背後の本殿覆屋(予習してなきゃ、これが本殿だと思ってしまうところ…)
この中に、アノ“本殿”が…
いつか見られる機会あるんだろか?ないだろなぁ………
境内には、結構沢山、摂末社や石碑があり、広々として明るい。
お正月には、拝殿の扉も開かれ、ご近所の方々が沢山訪れたそうな。
隅々まで掃き清められていて、大事にされてる感、いっぱい。
お隣のお年寄り施設からは、楽しげな歌声が…
ここ界隈には、他にも“香取神社”があるらしぃ。次回には、そちらにも回ってみたいものだわ。(2014.1撮影)
「香取神社は、経津主大神をご祭神として奉祀する埼玉県東部地区有数の古社であり、広く近郷近在多くの人々の崇敬を集めております。
大神は農皇祖の神勅を奉じて、出雲の国大国主命との間で国譲りの大業を成し遂げられ、さらに荒ぶる神々を平定し、日本建国のご功績のあった神で、以来国家鎮護の神、産業開発の神、武徳の祖神として信仰されており、『香取大明神』の名で親しまれております。特に豊作や商売繁昌、厄除開運のご神徳は広大であります。
文化財:
一、屋根葺替の工事を行った徳治元年(1306)の棟札が保存されており、庄和町有形文化財に指定されている。
二、桧皮葺一間社流造りの本殿は、昭和31年に埼玉県有形文化財に指定されている。
三、太夫獅子・中獅子・女獅子の三頭からなる獅子舞は例年夏祭りに五穀豊穣・悪魔払い・雨乞いなどの願いをこめて盛大に行われており、埼玉県無形民俗文化財の指定を受けている。
平成15年12月吉日 西金野井 香取神社 氏子会」境内由緒書きより
《香取神社本殿 一棟》埼玉県有形文化財 昭和31年11月1日指定
「香取神社は、古くは金井明神と称し、天正19年(1591)に10石の朱印地が与えられ、同年に社殿が再建したと伝えられる。
元禄年間建立の覆屋に収まる本殿は、一間社、流造り、桧皮葺、和様の端正な小建築で、室町時代末期の建立と推定される。
当社の存在は、かつてこの地域が下総国に属して、同国一宮香取神社の祭祀圏内にあったことを示している。
昭和26年の江戸川改修で現在地に移され、同49年度には、部分修理と塗装復原を実施にて、往時の美しさを取りもどした。」境内案内板(春日部市教育委員会)より
→本殿の写真(春日部市教育委員会サイト記事)
《西金野井の獅子舞》埼玉県無形文化財 昭和54年3月27日指定
「当社に伝わる獅子舞は、7月下旬の夏祭りに、悪魔払い・五穀豊穣や雨乞い祈願の芸術として演じられてきた。
獅子は三頭で、神社境内や氏子の家々を回って舞われる。とくに道の辻で舞われる『辻切り』の曲は特色がある。
昭和43年には保存会が結成され、後継者養成に努めている。」境内案内板(春日部市教育委員会)より
《香取神社棟札》春日部市指定有形文化財 昭和57年12月1日指定
「この棟札は、たて125センチ、横20センチ、厚さ0.6センチの檜板で、『徳治元年(1306)3月17日
金井本郷神田梶取大神破存板屋根葺替
金井本郷氏子中』
と墨書されている。
春日部市内で最古の棟札であり、当時この地が金井本郷とよばれていたことが知られる。 」境内案内板(春日部市教育委員会)より
《香取神社鳥居建立記念碑》
「碑文
古き昔より下総国葛飾郡金野井村の総鎮守として鎮ります香取神社は、経津主命及び木花咲耶姫命を奉祭し、家内安全・五穀豊穣・事業繁栄の神として篤い信仰を有し、崇敬篤い人々に限りない御神徳を輝かしめておられます。
荘厳な鎮守の森の杉の大木も第二次世界大戦のさい供出材として伐採され、また昭和25年の江戸川改修工事により、参道両側の百本余りの杉の大木も伐採され、唯一残った樹齢600年、埼玉県指定天然記念物『香取神社の大欅』も、昭和61年枯死して、以前の面影を偲ぶよしもなく誠に残念でなりません。
茲に敬神の念篤き有志相い図り、西暦2000年を迎え、西金野井地区区画整理事業の実施を記念し、旧参道に庄和町のシンボルとなる大鳥居を建立し、香取神社の尊厳と更なる御神徳の高揚につとめたく栄敬者多数の賛同を得て、この大鳥居を建立したものである。
平成14年5月吉日
香取神社大鳥居建立委員会
香取神社宮司 松島静夫 撰夫
香取神社大鳥居概要
総御影石製 15尺八幡形大鳥居
寸法 総巾 6米90糎(23尺)、総高 6米(20尺)、総重量25屯
使用石材 中国福建省南安市産出・御影石
この鳥居の笠石は『長さ6米90糎(23尺)、重さ7.5屯』一本の石材で製作された。笠石としては日本一の長さを誇り当神社の宝物としてこの地に建立し永遠に奉安される」大鳥居横の石碑より
《香取神社の大ケヤキ》
「大正15年2月19日に埼玉県指定天然記念物に指定された西金野井香取神社の大ケヤキは樹令600有余年、高さ23m、幹回りで10mをはかるみごとな大木でした。しかし、周辺の市街化が進み、隣接する町道の交通量も増加したため、しだいに樹勢もおとろえたため栄養剤の注入等を行いましたが、昭和61年7月1日付けで指定解除となり、翌昭和62年2月22日に西金野井の人々の見守るなか伐採されました。現在のケヤキは昭和62年3月9日に新たに植えられたものです。また、伐採された大ケヤキの根は、昭和63年4月5日に保存施設に移され往時のすがたを残しています。
平成3月1月1日 西金野井香取神社氏子会」大ケヤキ保存施設横 解説板より
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