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菊田神社
Date of shooting: 2012.01.02, 2013.03.30, 2015.01.10, 2017/01/02, 2018/01/01, 2020.01.26, 2022.01.01, 2024.05.04, 2025.01.02, 2026.01.01
| 御祭神: |
大己貴大神 藤原時平命 |
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- 祭礼:
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10月19日
下総三山の七年祭り:9月に小祭、11月に大祭(丑年と未年に数え7年ごと)
- 御由緒:
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古伝によれば、当神社は久久田大明神と称して、弘仁年間(西暦810年代)今より約1,200余年前より御社として祭祀されてありました。当時は、この境内地は小嶋であって、この嶋を中心として東西両側は丘で、砂土堆積している入江でありました。住民の多くは西側の丘に住居を構えて生活をして居りました。住民は嶋の上に鎮座されていた御社、即ち久久田大明神を産土神および氏神として奉斎信仰していました。なお、旧9月19日を例祭の日と定めて、年毎に祭事を執行していました。また、住民は地内並びに周辺(近隣)の人と縁結びしますと、これがまことに夫婦円満の家が多く出生児達もみんな丈夫に生長し、長命の人も多く、それ故に住民はこの久久田大明神を特に縁結びの神、厄難除の神、安産の神として崇敬し、商売繁昌の神(後年この地に商人が出来て、このお宮に祈願したところ何れも商売が繁昌した)としても崇敬しました。
治承4年、藤原師経、藤原師長卿の一族郎党東国に左遷の砌り、相模国より船に乗船し相模灘を経て袖ヶ浦にと来ましたところ、海上少し荒れていた為に何処か波静かな所はないかと探し求めていましたところが、たまたま久久田浦の入江と嶋を発見しましたので、一同はここに船を漕ぎ来たりてこの嶋に着船上陸しますと、住民達が崇敬しているお宮がありました。即ち久久田大明神のお宮で、師経卿、師長卿は無事に此処まで安着の出来たことはこの祭神の御神徳によるものであるとして深く感銘されて、この御社を崇め奉りてこの地を安住の地と定めることとし、同時に祖先の人皇六十代醍醐天皇の御字延喜左大臣藤原時平命を合せ祀り住民と共に奉斎崇敬しました。後に師経の一族は三山の郷(現在の二宮神社の鎮座の地)に移住したと伝えられています。
その後星移り年変りて入江も浅瀬となり、この嶋の土と東西の丘の土を採取し浅瀬に盛土して水田を拡げて氏神の社名に相応しく永く久しく栄える国として耕作するようになりました。またこの境内地が船の形をしているのは、師経一族郎党が着船したのを記念とするために浅瀬を盛土するときにこの形を造ったと伝えられています。
御社号改名:賓暦年間桃園天皇の御代に社名を菊田大明神と改名(古老の云伝えによれば、菊は吾が国の名花、菊文字は久久の文字よりも御社名には相応しいとの所以によって改名されました。)
御社殿:康元元年に木造に改造営、慶長2年5月、正保3年9月、寛保2年9月、「賓暦三年九月拝殿を造営」寛政8年11月、文政3年8月、弘化3年9月に夫々改造営、明治26年12月に拝殿玉垣再造営、昭和48年9月、本殿、拝殿屋根銅板瓦葺に改修、平成7年9月神輿新調、神輿庫改築。
合祀:大正元年11月、区内各町(本郷、丸田、下宿、浜宿)に鎮座されていた八坂神社、金刀比羅神社、大山祇神社、水神社、稲荷社、雷神社の御祭神を合祀。
平成22年9月吉日 菊田神社(境内由緒書きより)
- ヒトコト
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ひじょうに馴染み深い神社。隣接する“水鳥公園”とともに、お気に入りのお散歩コース。
お茶目過ぎる顔立ちの狛犬さんが大好きっ
寝込んだ2015年正月…1週間遅れの初詣。やはりココは、とてもとても落ち着く場所。今回、はじめて猫さんに遭遇。いぃ年になりそ。
気がつけば毎年、コロナ禍も、今年も、きっと来年も再来年も…ずっと…初詣はこちらで…