小石川諏訪神社
牛天神北野神社から南西へ100mほどの路地の奥、住宅街の一角にひっそりと鎮座。
細い参道には両脇の家が迫っていて、塀もなく、窓がすぐそこ…自然と忍び足になっちゃう。
でも、境内に入るとそれなりに広がりがあって、樹々が皆短く刈られていたり、手水舎の柄杓がキレイに並べてあったり、きちんと手入れされていて、日当たりのいぃほっと出来る空間になってる。
御神籤掛けがハート型になっているのが、ちょっと浮いてて微笑ましい。
社殿隣、朱い鳥居が数本…境内社の“思の森(うぶしのもり)稲荷神社”。その名前もなんだかかわいらしいのだけど、奥の小さな社殿前に並ぶ神狐さんたちも、すらりとした優しげな姿で、なんともかわいらしい。
さて…時間も気力&体力も、まだ余裕がある…もちっと歩いてみよぉか…(2017.3撮影)
細い参道には両脇の家が迫っていて、塀もなく、窓がすぐそこ…自然と忍び足になっちゃう。
でも、境内に入るとそれなりに広がりがあって、樹々が皆短く刈られていたり、手水舎の柄杓がキレイに並べてあったり、きちんと手入れされていて、日当たりのいぃほっと出来る空間になってる。
御神籤掛けがハート型になっているのが、ちょっと浮いてて微笑ましい。
社殿隣、朱い鳥居が数本…境内社の“思の森(うぶしのもり)稲荷神社”。その名前もなんだかかわいらしいのだけど、奥の小さな社殿前に並ぶ神狐さんたちも、すらりとした優しげな姿で、なんともかわいらしい。
さて…時間も気力&体力も、まだ余裕がある…もちっと歩いてみよぉか…(2017.3撮影)
《御祭神》
健御名方命、八坂刀売命
《祭礼》
9月17日(隔年神輿巡行)
【由緒】
「室町時代1390年(明徳元年)7月に牛天神別当『龍門寺』の住職であった乗観法印が信州諏訪大社より勧請、創建したと伝う。
由緒によるとある夜諏訪明神が霊夢に現れ“汝の在国に清浄の地ありや”
法印曰く
“寺の西南に当たりて杉松のうっそうとした浄地あり”と明神曰く“我其の地の森に移りて氏を守り、汝が思ひを満足せん”と言ひで光焉として飛び去り給う。(思い満足せる森とて今に思ひの森と言い伝え(り)
その日比の地は大風が吹き荒れ雷鳴がとどろきわたった。風が収まりし後に一本の大木に白幣がたなびいていたという。信州より帰った乗観が信託の趣きを衆に語り不思議な符号を認め此の地に民と力を合わせ官居を建てた。
この信託により当社を思いの森と言ひ伝う。」境内由緒書より
《旧 諏訪町(昭和39年までの町名)/旧町名案内》
「元禄9年(1696)、御本丸小間遣十人が町屋敷を拝領し、その後変遷があった。町内に諏訪明神があったので、古くから諏訪町と呼ばれた。[『御府内備考』より]
明治5年(1872)、隣地の牛天神下広小路、袋町新道と呼ばれていた武家地を合併した。[『東京府志科』より]」境内外案内板より
《境内末社》
思の森稲荷神社(宇迦之御魂の命)
後楽2-18-18 » Google MAP
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