黒船神社
間口狭く、ちょいと“隠れ家”風。
足を踏む入れたとたん、鳥居をくぐろうとして、左右の迫力ある狛犬さんたちにドキッとする。
The狛犬…って感じ。
って、いろいろ調べてたら、どうやらすごい狛犬らしぃ。
と、そのあたりはよくわからないのだけど…ひっそりしっとり居心地のいぃお社。お祭りじゃないときに、改めてゆっくり行ってみよぉ…どなたか、お話聞ける方がいらっしゃったらうれしぃな…(2014.5撮影)
足を踏む入れたとたん、鳥居をくぐろうとして、左右の迫力ある狛犬さんたちにドキッとする。
The狛犬…って感じ。
って、いろいろ調べてたら、どうやらすごい狛犬らしぃ。
と、そのあたりはよくわからないのだけど…ひっそりしっとり居心地のいぃお社。お祭りじゃないときに、改めてゆっくり行ってみよぉ…どなたか、お話聞ける方がいらっしゃったらうれしぃな…(2014.5撮影)
《御祭神》
倉稲魂命
《祭礼》
5月第3金・土・日
【由緒】
天慶3年(940)、平将門を破った平貞盛を祀ったのが始まりで、創建当初は現在地より東の隅田川べりにあったが、享保17年(1732)の火災後、現在地に移った、とある。(『東京都神社名鑑』)
江戸時代に、旧黒船町(〜昭和9年:現在の寿一丁目・駒形一丁目・蔵前三丁目)の稲荷神社三社(黒船稲荷大明神、散穂稲荷大明神、紅葉山稲荷大明神)を合祀し、「黒船三社稲荷大明神」となる。
…という説と、
それは、牡丹1丁目にある“黒船稲荷”のことである…という説。これは、黒船稲荷神社を兼務社として管理している“富岡八幡宮”のサイトの記事で発見。
ただ、“文政町方書上”には、火災の代替地として与えられたのは“浅草寿町”と書いてあったりするそうで…
さてさて…どちらなのでしょうか?
手水鉢:寛政7年(1795)・石灯籠:安永2年(1773)・鳥居:寛文11年(1671)・狛犬:嘉永7年(1854)
寿4-3-1 » Google MAP
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