二宮神社
ここの特徴は、なんといっても「一度下がって上がる参道」。一番深くなっている部分で、小さな川(水路?)を渡る。(そういえば、出雲大社も下がって川を渡ってのぼってたな…)この川の水源は、菊田神社と社殿横、水鳥公園の池といわれてる。直線距離にして約3km…なんだかわくわくするお話。
その谷のようになったあたりは、樹々が伸び、気持ちのいぃ空間。御神木の一際大きなイチョウの伸びっぷりが壮快。黄色い葉が生い茂る季節に絶対再度訪れたい。
で、木といえば…一の鳥居もニの鳥居も木製。素木のぬくもりに思わずうっとり。
社殿は、大正時代らしぃ迫力ある銅板屋根。“谷”からもニの鳥居越しにちらりと見えたり…(2014.2撮影)
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そぉいえば…
両親の遺品から何本も出てきた木神札…こちらの神社のものも数本…とほほ…
今度改めて持参し、お炊き上げしていただきましょ…
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下総三山の七年祭。
周囲の道も、谷のようになった参道も、出店でいっぱいになり、境内ではお囃子と神輿の賑わい…
メインはもちろん二宮神社ではあるけど、広範囲に渡って行われていて、全容を追いかけることなんてまず無理だろぉけど、ウキウキワクワク高揚した雰囲気がそこかしこに漂っていて…
あぁ…お祭りって、やっぱり素敵…
7年に一度…7年の間に、皆それぞれいろいろなことを想い、いろいろな経験をし…それが、脈々と続いてきている…
ふとそんな風に感じ、自分のちっぽけな時間…取りまく人々との時間…切なく、愛しい…
次の七年祭りも、楽しめたらいぃな…(2015.11撮影)
《社殿》船橋市指定文化財:有形・建造物(1992年2月27日指定)
「二宮神社の創建は、社伝によれば弘仁年間(810〜823)とされる。現在の社殿は棟札や各部の建築様式から、安永年間(1772〜1780)の再建であることがわかる。
本殿は大正11年、拝殿は大正14年に、それまでの茅葺屋根を銅板に葺き替え、大規模な模様替えをしている。社殿の形式は、江戸時代に流行した権現造であるが、拝殿から幣殿にいたる床面の高さは、同じレベルにしている。
向拝の唐破風の大きさなど社殿のデザインには、谷を挟む正面の鳥居から参拝する神社を考慮した工夫が見られる。
拝殿の周囲は背面を除いて回縁となっており、建具は横桟の多い舞良戸である。拝殿および幣殿の天井は格天井である。社殿の側面に回り全景を見ると、本殿の屋根および床面が拝殿より高いことが分かる。本殿は流造で、全体を彫刻で飾っている。軒の組物および腰組も、その当時の正規の宮大工の手法によって意匠と造作がなされている。 船橋市教育委員会」境内案内板より
《三山の七年祭》千葉県指定無形文化財(2004年3月30日指定)
「この祭りは、船橋市・千葉市・習志野市・八千代市の九つの神社が集まる下総地方を代表する寄合祭りです。祭りは9月に行われる小祭と、11月に行われる大祭からなり、6年毎の丑年と未年に行われ、数え年で7年になることから、七年祭りと呼ばれています。
お祭りの起源には複数の説がありますが、室町時代の千葉一族、馬加康胤にまつわる安産祈願と安産御礼の故事に由来する説が有力とされています。
小祭はかつて湯立ての神事により大祭の日を占ったことから湯立祭とも呼ばれ、二宮神社だけで行われます。神輿や山車などが、一日かけて三山町内をねり歩きます。
大祭初日は『禊式』で、旧鷺沼海岸に行き身を清め、翌日に備えます。2日目は『安産御礼大祭』で神揃場(船橋市三山7)に全ての神社の神輿が勢揃いし、七曲りと呼ばれる道を通って二宮神社に向かい、昇殿して参拝します。3日目の『磯出式』は千葉市の旧幕張海岸で、4社によって行われる安産を祈願する祭事です。このあと二宮神社と子安神社の神輿による『別れの儀式』を行い、その帰りに二宮神社の神輿だけが習志野市鷺沼の『神之台(火の口台)』に立ち寄って、神事を行います。この神事は、祭りの終わりを知らせるものと言われています。
[各神社の役割]
二宮神社(船橋市三山):父
子安神社(千葉市花見川区畑町):母
子守神社(千葉県花見川区幕張町):子守
三代王神社(千葉市花見川区武石町):産婆
菊田神社(習志野市津田沼):叔父
大原大宮神社(習志野市実籾):叔母
時平神社(八千代市萱田町、大和田):長男
高津比咩神社(八千代市高津):娘
八王子神社(船橋市古和釜町):末息子
船橋市教育委員会」境内案内板より
《イチョウ》船橋市指定記念物・天然記念物文化財(2012年3月30日指定)
「二宮神社正面の一の鳥居から参道を下り、御手洗を過ぎ石段を上ると、拝殿正面の二の鳥居脇に大く聳えるイチョウがあります。この二宮神社のイチョウは、樹高25m、幹回り4.71m、葉張り17.4mの雌株で、市内最大級の太さをもつ、市内で最も高いイチョウです。(平成23年3月計測値)
イチョウはイチョウ科イチョウ属の落葉高木で、中国原産です。雌雄異株で、春、雄花、雌花とも葉が開くと同時に開花し、秋、扇形の葉が美しく黄葉し、雌株では種子が塾します。
神社境内には、クスノキ、モッコク、ボダイジュ、ヤブニッケイ、スダジイ、タブノキなどからなる鬱蒼として叢林があり、二宮神社のイチョウは、こうした貴重な自然環境の中で守られ、健康状態も良好で樹勢も強く、すらりとした端正な姿をみせています。
江戸時代の『成田参詣記』(安政5(1858)年刊行、清宮秀堅著、中路定俊・定得父子編)の『三山明神社』(現在の二宮神社)の挿絵として、長谷川雪堤によって描かれた『三山明神社の図』にもこのイチョウを見ることができ、江戸時代から人々に親しまれていたことがうかがわれます。また、今なおここを訪れる人々の間に、御神木として崇められています。凛とした佇まいで聳えるこのイチョウは、境内の厳かな雰囲気をより一層ひきたてています。 船橋市教育委員会」境内案内板より
《神楽》船橋市指定無形民族文化財(1995年6月26日指定)
「二宮神社の神楽の起こりについて詳しいことはわからないが、墨で『寛政十一未歳』(1799)、『天保八酉年』(1837)と記された古い装束が残されている。
神楽は1月15日と10月16日の例祭に、三山の人達で構成する神楽はやし連により、神楽殿において演じられる。未年と丑年の『三山の七年祭』でも舞われる。
現在伝えられている演目は次の12座である。
(1)みこ舞 (2)翁舞 (3)猿田舞 (4)神明舞 (5)天狐舞 (6)うずめ舞 (7)ひりこ舞 (8)おかめ舞 (9)宝剣打ち (10)かとり舞 (11)源三位 (12)餅投げ(山神)
このうち、かとり舞と源三位(源頼政のぬえ退治)は市内でもここだけに伝わる。使用する楽器は、おおなり(鋲打太鼓)、鼓(締太鼓)、しゃんぎり(銅拍子)、笛 各1であり、演奏者は下座と呼ばれる。
関東地方に分布する十二座神楽に属するが、長い間に独自の演出や工夫が加えられ、特色あるものとなっている。 船橋市教育委員会」境内案内板より
《齋藤その女等奉納句額》船橋市指定文化財:有形・歴史(1980年10月23日指定)
「文久3年(1863)、大穴の齋藤その女、田喜野井の鍬賀、薬園台の林中ら、三山近在の俳人たちが主催者となり、そのころ有名であった江戸の俳人孤山堂卓郎らを選者に迎え、二宮神社に俳句の額を奉納した。拝殿内の正面に掲げられている。その女は主催者の最長老として『八十二老その女』と刻まれている。俳句の奉納者は、二宮神社注連下21か村の村人や江戸・市川の人々、あわせて80名である。
句の一部
汲てゆく 跡も濁らぬ 清水かな 鍬賀
風よりも 涼しき庵は もりのうち 林中
春もまだ 冴てなのみぞ 庵の月 その女
移る燈の 雨にながるる 柳かな 卓郎
大きさは縦107cm、横376cm。欅の一枚板で、江戸の工人野川法眼平朋郷が彫刻し、装飾した立派なもので、文久3年の銘がある。俳人その女の優れた人柄と足跡を物語る資料としても貴重である。 船橋市教育委員会」境内案内板より
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