丹生神社(谷津)
ただ、本殿には日が当たって、彫刻もはっきり見えて…ほっと出来る空間になってた。
それにしても、境内の脇の方…お札所の並びの“此処へは一切の物を持ち込まないで下さい”という場所は、何?
境内の「漁業権免許記念碑」と「漁業組合解散之碑」…習志野史を読んでいたとこで…かつてはすぐそこまで海があり、海苔を作ったり貝を採ったり、半農半漁の人々の暮らしがあったこと…歴史は、語り継ぎたいものだわ。
最近、境内の“石碑”の面白みがわかってきた かも。(2013年6月撮影)
「此の神社は、丹生神社と申しまして御祭神は丹生都比売神で和歌山県伊都郡かつらぎ町に鎮座しております丹生都比売神神社の一宮(此の神社は四宮あります)の御祭神の御分霊を江戸時代の承応四年(1654年)に勧請このところに奉斎されております。以来此の神社を谷津の守護神として先祖代々敬神の念篤く護り伝えられて今日に至っております。
本社の丹生都比売神社は延喜式神名帳に「伊都郡丹生都比売神社」とあり名神大社で月次新嘗の方幣に預かっておりまして旧官幣大社でした同社の社伝によれば十五代応神天皇が自ら丹生大神を祭ったといわれ、はじめ紀ノ川の水源地豊貴(蕗)郷に鎮座しておりましたが、弘法大師が高野山を開くに当たり当社を地主神として伊都郡かつらぎ町の現在地に遷したといわれております。丹生都比売神は別名稚日女神と申しまして天照大御神 別名 大日女大神の御妹神とされておりまして無病息災、縁結び、産業発展、交通安全、学業成就、その他諸々の開運招福の神とされております。江戸時代の末頃より伊邪奈美尊が併祭されております。伊邪奈美尊は夫神 伊邪奈岐尊と共に国土創成の神であり又諸神の親神様でもあります。現在の此の本殿は文化八年(1812年)の建立です。例祭は10月19日です。」境内の手描き由緒書きより
《境内社のお稲荷さんの伝説》
丹生神社の正面に稲荷山と人々の云う土地があった。ここはこのお稲荷さんの元の住居だった。明治の始め頃、この地から神社境内に移転。その後、大正から昭和の始め事に東京深川お商人が稲荷山の空地を1万円で買い取った。地積にして1500平方メートルはあるだろうか。ところがその商人は間もなく商売が左前になり、その地を他の商人に譲ってしまった。不思議なことにこの商人もまた商売に失敗してしまったと言う。土地の人々はこれをお稲荷さんのたたりだといっている。…習志野風土記より
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