小野照崎神社
ぱっと見、間口は狭い感じなのだけど、どっしりした石鳥居をくぐってみると奥が深そぉな気配。お詣りをしてからゆっくり境内をまわってみよぉ〜 と振り返ると…おぉ〜茶トラ猫さん。
話しかけたら寄ってきてスリスリ…おぉ〜、うっとり。
って、あのこんもりはもしや?!…と社殿左手奥に進むと、富士塚っ
残念ながら、登塚できるのは、お山開きのときだけらしく、神猿たちに守られた門は閉ざしてる。
他の境内社もいぃ感じ。
三峰神社の狼さんたちはちょいとかわいらしぃし、稲荷神社の神狐さんたちは曲線が美しく今にも走り出しそうな姿… うおっ、背後の水盤…板で蓋がしてあるのだけど、その上に…キジ猫さんっ
さらに、玉垣の合間にシマミケ猫さんっ
そして…庚申塔がずらりと並んだあたりにも、塀の上、柵の合間に……
いったい何匹の猫さんがいるんだろか?
皆のんびりと、好きな場所で好きなカッコで…居心地よさげ。
なんていぃ神社なんだ………いろんな意味ですっかり長居。しばしば訪れたいものだわ…(2016.9撮影)
「往昔祭神御東下の砌、上野照崎の地に御遺跡を留め給ひしを地民渇仰して上野殿を尊称し、後に照崎の地名をとりて小野照崎大明神と尊崇奉斎するを鎮座起源とす。其後社殿大破せしを江戸太郎重長領主となるに及び、武運を祈りて再建し、星霜移り寛永年中上野東叡山草創の砌、坂本村長左衛門稲荷境内(現在地)に遷祀奉りし由緒正しき神社にして現社殿は慶応3年の御造営にて大正大震火災並に大東亜戦争にも聊の被害も蒙る事無く、氏子十八ケ町の産土神として御神経喩、顕著也、御祭神小野篁命は敏達天皇の苗裔にして嵯峨天皇に仕へ、博学俊才を以て知られ殊に詩歌に長じ、淳和天皇天長年中には令義解を選し、下野國の任を蒙りて足利に至るや我国学校の創始たる足利学校を創立、孔子像を祀り国人に書経を教ふ。亦百人一首の「わだの原八十島かけてこき出ぬと人には告げよあまのつり舟」の詠人としても知らる。御配神菅原道真命に就いては江戸二十五社大神の一つにして渡会天満宮を伝承し菅原尊像を回向院より遷祀す。」境内由緒書きより
「小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人として著名な小野篁である。例祀の年代は不明だが、次のような伝承がある。篁は上野国司の任期を終え、帰路の途についた際、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞した。仁寿2年(852)篁が亡くなったとき、その風光を楽しんだ地に彼の霊を奉祀した。その後、江戸時代をむかえ、寛永2年(1625)忍岡に東叡山寛永寺を創建するにあたり、当社を移転することとなり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた現在地に遷した、というものである。また、一説には、忍岡から孔子聖廟が昌平橋に移った元禄4年(1691)頃に遷座したのではないかともいう。
現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災や東京大空襲などを免れた。また、境内には、富士浅間神社・御嶽神社・三峰神社・琴平神社・稲荷神社・織姫神社、さらには庚申塔が現存する。
例大祭は5月19日で、3年に一度、本社の神輿渡御が行われる。
平成11年3月 台東区教育委員会」境内案内板より
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