【番外編】飛不動(正賓院)
地図で場所を確認したものの、ビルや家や駐車場にぐるりと囲まれていて、どちらが“入口”がよくわからず…現地に着いても、お堂らしき屋根は見えるもののよくわからず、さらに勘もはずれ、結局ほぼ一周しちゃった…(ちなみに入口は東側)
一見商店街のアーケードのような入口の竿(?)は、どうやら提灯掛け。近づくと、中の参道に朱い幟がずらり で、やっと着いたぁ〜という感じ。
通り抜けながらふと顔をあげると“FLYING GOD TEMPLE”の文字…やっぱり、“飛ぶ神様のお寺”なのね。
参道を抜けると、境内は左右に広がってた。
まず、左斜め前の本堂でお詣り。ここ最近、とてもお世話になってる“空飛ぶお医者さん”たちの日々の安全と無事を祈ってみたりする。
左奥の小さなお堂は、下谷七福神の恵比寿さまだそぉな。
そのお隣というか陰というか、角に羅漢さま…会話が聞こえてくるようななんとも雰囲気あるお姿。
その手前に、不動明王。迫力あるお顔なのだけど、小さめなのでちょっとかわいらしぃ…
右側はちょっとした広場になっていて、奥にベンチ。おぉ〜このベンチかぁ…
そこの一辺に、六地蔵さま。ふっくらとしたかわいらしぃお姿で、ほっこり。
ほっこりついでに、ベンチに腰掛け、ちょっと一休み。
人影無くちょっと寂しくはあったのだけど、なんか落ち着く…
さて…もぉ一歩きしよっと…(2016.9撮影)
ご本尊のご開帳:12年ごとの酉年
恵比寿神の御開帳:1月1日~7日
「当寺は龍光山三高寺正賓院と称し享禄3年(1530)正山律師により聖護院派の祈願道場として開基された。その後滋賀県園城寺の末寺となったが、現在は修験の流れをくむ天台系の一派をなしている寺である。本尊は不動明王で、古くより江戸名尊不動の一に教えられ、特に飛不動と呼ばれている。
この名はむかし故あって当寺の住職が奈良県大峰山に本尊を安置し修行をしていたところ、一夜にして本尊がこの地に飛び帰り御利益を授けられたことより発している。
当寺は寛政の大火を始めとして、数回諸堂を焼失しており寺伝を詳しく知るすべはないが、江戸古図や江戸砂子等に飛不動の名が見られ、千七百年代にはすでに飛不動と呼ばれていたようである。御本尊は数回の戦火の為、一部損傷しており、現在は秘仏として鉄筋入母屋造りの本堂に安置されている。この本堂は昭和46年に建立されたもので、中央に御本尊、右に鎌倉末期の阿弥陀如来、左に恵比寿大黒天がまつられている。また本堂前の石仏は正徳3年作の如意輪観音である。
昭和52年2月」境内由緒書より
「正賓院は、享禄3年(1530)の創建といわれる修験寺院で、はじめ聖護院末・園城寺から現在天台宗系の単立寺院となっている。
当寺の本尊は木造不動明王坐像で、『飛不動』の通称で知られている。名の由来は、昔、当寺の住職が大和国(奈良県)大峰山に本像を持って修行に行ったところ、一夜にして当地へ飛び帰り、人々にご利益を授けたことにあると伝えられている。
『飛不動』は本尊の通称だけでなく正賓院の通称ともなり、江戸時代前期、寛文年間(1661〜73)の『新板江戸大絵図』には、すでに『飛不動』の名が見える。福利増長・息災延命の祈願道場として庶民の信仰が厚く、『日本国華万葉記』や『江戸砂子』などに江戸の代表的な不動霊場の一つとして記されている。近年は航空安全の守護神として有名になり、空の安全を祈願する参詣者が多い。
平成12年3月 台東区教育委員会」参道脇案内板より
《不動明王》
「この大明王は、大威力あり 大悲の徳のゆえに、青黒の形を現じ 大定の徳のゆえに、金剛石に座し 大知恵のゆえに大火焔を現じたもう 大智の剣を執ては、貪瞋癡を害し 三昧の索を持しては、難伏の者を縛す 無相法身虚空同躰なればその住所なし ただ衆生の意想 おのおの不同なれゔぁ、衆生の意に隨って、しかも利益を なしたもう。」
《羅漢さま》
「『羅漢』は『阿羅漢』の略で古代インド語サンスクリットの『アルハット』が語源です。直訳すると『するに値する人』『受ける資格のある人』の意味です。これから発展して『修行を完成し、尊敬するに値する人』『悟りを得た人』という意味になり、究極的真理を得た聖人につけられる名称となりました。」
《地蔵》
「地蔵の地は大地を意味します。大地は私たちの衣食住から金銀財宝に至るまで、色々なものを与えてくれます。お地蔵さまも同様に私たちに色々な恵みを与え、その生活を護持するところからこの名前がつきました。安産・健康・長寿・知恵・豊作・求財などにご利益があります。」
コメントを残す