飛木稲荷神社
「神木:
樹令千年をこえると言われ、戦火(昭和20年3月9日)により、損傷を受けましたが、ご覧のように元気に繁茂しております。
古老の言い伝えによれば、大昔のある時、暴風雨の際、どこからがいちょうの枝が飛んで来て、この地に刺さったとのことです。そしていつの間にか亭亭とそびえたので、時の人が、これは異状のことであるとして、稲荷神社をお祀りしたのが始めであると言われております。飛木稲荷の名もこれから起こったものです。
お祀りした時代については、当地は再三の水害・火災等により旧家や円通寺等では、古い書物が失われて詳しいことはわかりませんが、旧幕社寺奉行書によれば応仁2年(1468)とありますが、おそらくそれ以前であると思われます。
お稲荷さんときつね:
稲荷神社には石ぎつねがあり、またせともののきつねがたくさんあるので、きつねがお稲荷さんと思われがちです。そのことは、稲荷神社が最初に祀られた京都伏見稲荷神社境内のお山にきつねがたくさん住んでいたことから、きつねは、お稲荷さんのお使いであるという信仰が生まれました。この信仰から神社の前に置かれるようになったものです。
境内神社:日枝神社(大山咋紙)・奥社稲荷神社」
《“身代り”飛木の焼けイチョウ》
「名前の由来
昭和20年(1945)3月10日の東京大空襲で、ご神木(神霊が宿っているとされる木)は、我が身を焦がし、懸命に炎をくい止め、町の延焼を防ぎました。
そして幸いにも多くの人達が助かりました。
ご神木は、戦災という大きな悲劇を乗り越え、数年を経て緑の芽を吹き出しました。
このようにたくましく生き延びた縁起のイチョウです。
今の世にあって、私達に生きる勇気と希望を与えてくれています。
きっと焼けイチョウは、大変な戦争があったという事を、これから先も伝えてくれることでしょう。
平成22年6月吉日 飛木稲荷神社総代一同」境内案内板より
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