折上稲荷神社
江戸時代末期、側に仕える多くの女官が病気にかかったため、孝明天皇が当社に御祈祷が命じたところ、女官達が奇跡的に回復したことから、「折上稲荷様の御利益は折り紙付き」と言われるようになったとのこと。そして、今後も女官達が元気 …
江戸時代末期、側に仕える多くの女官が病気にかかったため、孝明天皇が当社に御祈祷が命じたところ、女官達が奇跡的に回復したことから、「折上稲荷様の御利益は折り紙付き」と言われるようになったとのこと。そして、今後も女官達が元気 …
「醍醐天皇の御代千百年前勅命により国内の有名な神社を調べた台帳に登載された神社三千百三十二座の中の一座で掖玖島(屋久島)に名神として益救神社が記載されております。是を式内社と言います。 益々救って下さる神様「救の宮」又掖 …
忍岡稲荷が旧社殿。 明治六年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、花園稲荷と改名、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され、神苑も一新された。 「鎮座の年月、由緒は不詳ですが往古より此地に …
「今からおよそ二百数十年前(江戸時代)房州上房の国、富津村から江戸へ大船に乗り商売をしていた男がおりました。ある日のこと、平穏だった海上の天候が突如として変わり、怒濤渦巻く大嵐となってしまいました。その時、男は一心に神様 …
「神明社を豊受神社と改称(年代不明)、本殿建立 元禄年間(推定7年 1694)、前記より約百年後再び本殿造(1792)、境内鳥居造立 文政2年3月(1819) 歳時・みどころ:初詣、初午祭、新嘗祭 3年に一度の本祭りには …
「抑も当押切鎮守稲荷神社本殿の御尊体は、十一面観音菩薩で約八百五十年前、建久巳年三月京都三條仏師の祖先とも云う、鎌足義政(又は義継)が一刀三礼の作で、大和国長谷寺の御尊体の御写とし、御丈一尺二寸五分、御身巾三寸五分の舟形 …
佐原の香取神宮に祀られる刀剣の神様。創建は、文和(1352~55)から至徳(1384~86)の年代に佐原の香取神宮から勧請したとされる。 佐原の本宮と区別をつけるために読み方を変えて「香取(かとり)を(かんどり)」とした …
「当神社は第91代の御宇多天皇の弘安年中の創立御鎮座にして明暦三(丁酉)年十月九日社殿を造立 宝永二(乙酉)年改造 往古七百余所大明神と称し来りしが明治元辰七百余所神社と改め現本殿は明治16年に,拝殿は明治32年に建設さ …
米本城鬼門に鎮座する妙見様。築城の際、鬼門に妙見様を鎮座させるのは千葉氏の定石とのこと。 疱瘡神社:大巳貴命、天満天神:菅原道真公、三峯神社:伊弉冉尊・伊弉諾尊、道祖神:猿田彦命、金刀比羅神社:崇徳天皇・大物主命、白簱神 …
社の隣に小さな弁財天の祠がある。鳥居と灯籠は、新しい(平成22年2月吉日との記)。
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